©梅田芸術劇場
甦った永遠の少年、明日海エドガー降臨、ミュージカル「ポーの一族」開幕
明日海りおが、永遠の少年エドガーに扮して当たり役とした2018年の花組公演、ミュージカル・ゴシック「ポーの一族」(小池修一郎脚本、演出)が、明日海の退団後初舞台として甦り、11日、梅田芸術劇場メインホールで開幕した。
「ポー―」は「ベルサイユのばら」より前の1972年に萩尾望都氏が発表、少女漫画の枠を超えて今なお愛されている伝説的名作。バンパイアブームの先駆的作品ともいわれる。演出の小池氏が宝塚歌劇団入団前から温めていた題材で、2018年の初演では構想40年と話題になった。花組トップだった明日海が、永遠に生き続けなければいけなくなった少年エドガーという彼女にしか演じられない役柄に恵まれて代表作としたのは記憶に新しいところ。2019年に惜しまれて退団した明日海の退団後初舞台として再び「ポーの一族」が決まったのは、さまざまな偶然と運が重なり合ってのことだが、製作スタッフのもう一度見たいという熱意が実現に至らせた大きなファクターになったことは確かだ。
舞台はそんなスタッフの思いがそのまま表れた熱い舞台で、1964年、3人のバンパネラ研究家がフランクフルト空港に降り立つ場面から始まるという序章から宝塚版を踏襲、以後もほぼ同じ展開ながら、仕上がった舞台は全くテイストの異なる本格的なミュージカルとなった。
宝塚版と異なるのは、エドガーに扮した明日海以外は、男性役は男優が、女性役は女優が演じているということ。宝塚ではないのだから当たり前のことなのだが、この現実感が、永遠に生き続けるバンパネラが主人公という限りなくファンタジーに近いストーリーから、マイノリティーに対する寛容というこの物語が持つ本質を浮き上がらせ、リアルな人間愛の物語としてみごとに再生した。
松井るみによる大掛かりな装置も宝塚版とは一線を画している。舞台幕の真っ赤な薔薇が、序曲とともに青白く色が変わるあたりからムード満点、フランクフルト空港での序章の後、幕が開くと赤を主体にした豪華な夜会の場面が展開、舞台中央から赤い薔薇を手にした純白のブラウス姿の明日海エドガーが登場、主題歌を歌いだすと、そこはもう妖しくも美しい「ポーの一族」の世界となる。
ルイス(石川信太)やマルグリット(能條愛未)らが一族のこれまでの出現記録を要領よく簡潔に説明、舞台は一気に1744年、エドガーとメリー・ベル(綺咲愛里)の兄妹が、森で老ハンナ(涼風真世)に拾われる場面へとさかのぼる。この導入の場面のテンポが抜群で、歯切れのいいクリアなセリフがわかりやすく、エドガーとメリー・ベルの悲しい運命を予感させるに十分だった。
上演時間は3時間。休憩25分なのでたっぷり2時間35分。宝塚版も上演時間3時間だったがフィナーレがあるので正味2時間15分。それだけ丁寧なつくりになっているといえるかも。
3年ぶりエドガー挑戦となった明日海、初々しい美貌は前回と変わらず、少年美を体現、宝塚版よりもより力強く、芯のある歌声で演じたが、実際の男性にまじっての少年なので違和感は全くなく、かえってエドガー本来の持つ力強さが表現され、さらに美しく、さらに切なく素晴らしいエドガーだった。退団後の初舞台が「ポー」でよかったと心底思う。
アランに起用された千葉雄大はミュージカル初挑戦とは思えない素直な自然体の演技と歌で好印象。立ち姿だけでアランになりきっていて何不自由なく育った富裕層の跡取りというわがままな雰囲気も嫌味なくにおわせて明日海とうまくマッチング、ブロンドのカツラも違和感がなかった。クライマックスの旅立ちシーンは宝塚のようなクレーンではないが、装置自体に驚く工夫があった。ここの二人もまるで漫画そのものだった。
シーラの夢咲ねね、メリー・ベルの綺咲は、はからずも星組の新旧トップ娘役の競演となったが、いずれもこれ以上ないうってつけの配役。シーラがジョン・クリフォード(中村橋之助)を誘惑するくだりのなまめかしさは夢咲ならでは、綺咲のメリー・ベルも明日海エドガーと並ぶとこれも漫画から抜け出たようだった。
主要メンバーの配役にどのスターも違和感がないのが一番で、歌舞伎の橋之助が演じたクリフォードは宝塚版では鳳月杏が演じて好演したが、男性が演じるからこその品性が出て、それはそれでストーリー自体に現実味を持たせていた。それはエドガーの影を演じたダンサーたちや、ギムナジウムの生徒たちなどの脇のメンバーの現実感にも言えた。
そんななか一番の功績はやはり老ハンナと占星術師ブラヴァツキーの二役を演じた涼風真世とキングポーの福井晶一の圧倒的な歌唱と存在感。この二人の力が、このミュージカルを大人の鑑賞に堪える演劇としての着地点に導いたといえるだろう。ホテル・ブラックプールの支配人やグレン・スミスなどを演じた劇団四季出身の加賀谷真聡のさすがの実力も際立ち、脇の充実も厚みを持たせた要因となっている。
いずれにしても、永遠に生き続けなければいけないバンパネラの少年の美しい姿を借りて、人が生きるということの意味を改めて問い直した深いテーマが男女版だからこそ浮き上がったなかなかの好舞台だった。
©宝塚歌劇支局プラス1月13日記 薮下哲司