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Channel: 薮下哲司の宝塚歌劇支局プラス
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改元に寄せて~宝塚歌劇の平成の30年間を振り返る~

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平成から令和へ。年号が変わるだけで何が変わるわけではないのだが、宝塚歌劇にとって平成という時代はどんな時代だったか。いい機会なので宝塚歌劇のこの三十年を振り返ってみた。

 

平成元年といえば1989年。この年宝塚歌劇は10月25日から一週間、ニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで過去最大規模の海外公演を行った。花組のトップスターだった大浦みずきを中心に専科の松本悠里、星組の紫苑ゆうはじめ最下級生の月組・天海祐希まで総勢60人。花組の安寿ミラ、星組の稔幸、花組の愛華みれ、紫吹淳はじめのちにトップになったスターがずらり。娘役は月組のこだま愛、星組の洲悠花らが参加した。

 

演目は日本の四季を表現した日本物のショー(植田紳爾作、演出)と懐かしのスタンダードメロディーを中心にした洋物ショー(小原弘稔作、演出)の二本立てで、洋物の歌詞はすべて英語だった。グラミー賞やトニー賞の授賞式でおなじみのラジオシティ・ミュージックホールは4階席まである定員6000人を超える大ホール。舞台の高さや奥行きも半端ではなく、桜満開の日本物の装置などまさに桜の森という感覚、宝塚としては普段の海外公演の倍の人数で臨んだもののまだ足りないくらいの大きなホールだった。

 

初日はほぼ満員の盛況、洋物レビューはプロローグから大階段を登場させ、燕尾服姿の男役たちが軽やかなステップで次から次へと階段を下りてくると早くも大きな拍手に包まれ。ガーシュインなどよく知られるメロディーが流れると口ずさみながら楽しむ観客の姿もあって、カーテンコールは総立ちのスタンディングオベーション、感動的な初日風景だった。翌日朝に現地のホテルで行われた記者会見も全員が前夜の成功の余韻をかみしめるような笑顔に満ち溢れていた。

 

それが一変したのが二日後の朝。ニューヨークタイムスに辛口の公演評が掲載され、その一部を抜粋した記事を共同通信の現地記者が配信、日本の各新聞に一斉に掲載されたのだ。初日の盛況の模様は日本から同行した記者が各新聞に送稿していたものの、現地紙の評が掲載されたことで公演自体が失敗したような印象を与えてしまったのだった。SNSなどがまだなかったころで現地での温かい雰囲気が伝わるすべはなく、意気揚々と凱旋した彼女たちに向けられた視線がなんとなく冷やかだったのがなんとも哀れだった。

 

もともとこの公演は、1956年にあったメトロポリタンオペラハウスでの宝塚公演の評判が芳しくなく、その汚名返上のために当時理事長だった小林公平氏が悲願としていた公演だっただけに衝撃は大きかった。退団した大浦を中心にしたダンスパフォーマンスのみの公演を3年後にジョイスシアターで上演、再チャレンジしたことでもその思いがうかがえる。

 

 宝塚歌劇を女性だけのレビュー団という特殊性だけを前面に打ち出したことでの現地での誤った先入観とブロードウェーという最先端のプロ集団のなかでの歴然としたレベルの差などさまざまな要因があるが、普通の演劇を見る目で宝塚歌劇を評されることがどんなものか、改めて証明したような事件だった。女性だけの劇団というハンデから生じる暗黙のルールを受け入れ、すべてをオブラートに包み、観客がそれらをあらかじめ理解したうえで見ているのが宝塚。そういうガードを外したときに沸きあがる疑問に、ニューヨークタイムスの記者は素朴に反応しただけだったのに。

 

平成の最初にあったこの大きなイベントは、三菱グループが全面支援、いまとなっては到底考えられないビッグイベントだった。公演中にラジオシティ・ミュージックホールのあるロックフェラーセンターを三菱地所が買収するというニュースも入るなど日本が最もバブリーな頃の遺産ともいえるイベントだった。

 

その後、1994年にロンドン、2000年にはベルリンと公演を行ったが、以後は9・11同時多発テロやイラク戦争など世界情勢の緊迫化とリーマンショックをきっかけにした経済の沈静化で欧米での公演は見送られ、代わってSNSなどを活用して海外からの観客誘致に力を入れるようになっている。

 

一方、ニューヨーク公演の留守部隊となった平成元年11月の宝塚大劇場の月組公演で、その後の宝塚歌劇になくてはならない演出家、小池修一郎がデビューした。宝塚における平成とは小池修一郎の時代といえるのではないだろうか

 

デビュー作はゲーテの「ファウスト」を大胆に脚色して舞台化した「天使の微笑、悪魔の涙」。トップスターの剣幸が老人から青年に早変わりするプロローグから意表を突いた野心作だった。新人公演は不在だった天海に代わって久世星佳が初主演。その後のトップスター就任につながった因縁の作品だ。

 

小池はこの作品の好評で、翌年、日向薫を中心とした星組で「アポロンの迷宮」を演出、1991年、第3作となった杜けあき主演の雪組公演「華麗なるギャツビー」では、菊田一夫賞を受賞、演出家としての地位を決定づけた。これまでの宝塚にはなかったタイプの作家で、あくまで男役を立てながら、男女版のミュージカルとしても十分通用する精密な構造を持つオリジナルミュージカルを作り上げ、多くのファンの心をつかみ、その後の宝塚の方向性を決定づけた。「ベルサイユのばら」とともに宝塚のドル箱となった「エリザベート」は1996年(平成8年)の初演。平成30年までに10回上演され、平成における宝塚の代表作となっている。

 

「THE SCARLET PIMPARNEL」「ロミオとジュリエット」などのヒットミュージカルの潤色ものや原作を大胆に脚色した「PUCK」はじめスペイン動乱を題材にしたオリジナル「NEVER SAY GOODBYE」など数多くの秀作があるが、初期のバウホール公演、大浦みずき主演のショー「美しき野獣」や真琴つばさ主演が哀しき狼男に扮した「ローンウルフ」も忘れがたい。

 

平成元年当時の各組トップスターは、花組が大浦、月組が剣、雪組が杜、星組は日向で、まだ宙組はなかった。その後、多くのトップスターが誕生したが、平成を代表するトップスターはだれか。花組は安寿ミラ、真矢みき、愛華みれ、匠ひびき、春野寿美礼、真飛聖、蘭寿とむ、明日海りお。月組は涼風真世、天海祐希、久世、真琴、紫吹淳、彩輝直、瀬奈じゅん、霧矢大夢、龍真咲、珠城りょう。雪組が一路真輝、高嶺ふぶき、轟悠、朝海ひかる、水夏希、音月桂、壮一帆、早霧せいな、望海風斗。星組が紫苑、麻路さき、稔、香寿たつき、湖月わたる、安蘭けい、柚希礼音、北翔海莉、紅ゆずる、礼真琴。そして宙組は1998年に誕生。初代が姿月あさと、次いで和央ようか、貴城けい、大和悠河、大空祐飛、凰稀かなめ、朝夏まなと、真風涼帆と続く。それぞれに深い思い出があり、私の取材歴そのものに重なってとてもだれとは言えないが、一人だけと言われたら宝塚に残した財産の大きさという意味で今は亡き大浦みずきさんをあげるのが一番だと思う。おりしも平成最初のビッグイベント、ニューヨーク公演の立役者でもあった。

 

平成最大のイベントは2014年(平成25年)の100周年。マスコミがこぞって取り上げたことから潜在的ファンを掘り起こし、彼らがヘビーリピーターになったことから、宝塚の現在の隆盛がある。ファンを魅了したのは女性が演じる男役の進化した魅力と小池から始まったクオリティーの高いミュージカルであることはだれの目にも明らかだろう。植田景子、小柳奈穂子、生田大和、上田久美子といった現在宝塚で活躍している演出家は小池作品の演出助手を担当、彼の薫陶を受けて独り立ちした作家たちだ。平成の宝塚は小池修一郎の時代だったといえるのである。

 

©宝塚歌劇支局プラス4月30日記 薮下哲司

 

 

 

◎毎日文化センター「薮さんの宝塚歌劇講座」へのお誘い

 

毎日文化センター(大阪・西梅田の毎日新聞社内)では、「宝塚歌劇支局プラス」でおなじみの薮下哲司氏を講師に迎えて「宝塚歌劇講座~花のみち伝説〜」を開講中。受講生を随時募集しています。講座は毎月第4水曜日の午後13時半から15時まで、最新の宝塚歌劇情報を中心に、ファンなら聞き逃せないマル秘ニュースの解説など話題満載の90分です。タイミングが合えば退団したばかりのスターや演出家がゲスト参加してくれることも。年末には年間のベストワンを受講生の投票で決める「宝塚グランプリ」を実施します。宝塚が三度のご飯よりも大好きな人たちばかりの集まりで、おひとりでの参加でもすぐに皆さんと宝塚を通して友達になれる楽しい講座です。5月は22日が開講日です。奮ってご参加ください。

 

受講費用は、入会金別で6か月分18150円(消費税込み)。お問い合わせは毎日文化センター☎06(6346)8700まで。

 


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