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浅利慶太さんとの思い出

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浅利慶太さんとの思い出

 

元劇団四季の代表で演出家の浅利慶太さんが13日、悪性リンパ腫で亡くなったと18日、劇団四季から発表がありました。劇団四季を離れられてからの最近の活動にはご縁がなく、久しくお目にかかる機会はなかったのですが、1985年の「キャッツ」大阪公演初演の前から大阪四季劇場の開場前後まで約30年にわたって演出家と取材記者という立場で親しくおつきあいをさせて頂きました。最近の動向からある程度の覚悟はできていたのですが、心の中の大きな支柱を失ってぽっかりと穴が開いたような寂しさを感じます。

 

私が初めて劇団四季の舞台を見たのは加賀まりこ、北大路欣也が主演した「オンディーヌ」(1966年)でした。当時、時代の先端を行くアイドルだった加賀さんの生の舞台を見たいがために行ったのですが、その舞台で影万里江という素敵な女優さんを知り、次に見た「ひばり」での浅利さんの洗練された演出にすっかりのめり込み、私が仏文科を目指すようになったきっかけの一つとなったといっても過言ではありません。

 

そんな浅利さんと初めてお会いしたのは、1984年、劇団四季がミュージカル「キャッツ」大阪公演を決め、その制作発表記者会見が大阪市内のホテルで開かれた時でした。すでに大演出家でしたが、公演の主催が同じ系列の毎日放送だったことから、その後、番記者として何度も取材で接する機会があり、以来、演出家と記者として親しくお付き合いさせて頂ける光栄に浴したのです。

 

それまで劇団四季の大阪公演は全国ツアーの一環として短期間の公演しかなかったのですが、「キャッツ」は専用劇場を建設しての東京以外では初めての大掛かりなロングラン公演でした。スポーツ新聞の文化部記者としてそんな大きな演劇のイベントに立ち会うのは初めてだったこともあり、どんな小さなことでも記事にする意気込みで取り組んだことが、浅利さんには熱心な記者と映ったのか、過分なほど丁寧に接してくださいました。

 

 初めてあざみ野の稽古場へインタビュー取材に行ったとき、取材が終って帰ろうとする私に「君、“ヤマトタケル”は見たかい。面白いよ」と言われ、「まだです」と答えると、「ぜひ、見たまえ」とすぐに電話をかけて席を確保してくださったのです。あまりのことに一瞬耳を疑いました。市川猿之助(現猿翁)主演のスーパー歌舞伎の初演の時で、超人気公演だったのですが、鶴の一声で観劇することができたのでした。しかも、その回は貸し切りで普通は見ることができない公演だったのです。四季の公演でもない舞台を「ぜひ見ろ」と言われ、強引に席を確保してくださったのでした。その後“ヤマトタケル” を見るたびに思い出す忘れられない思い出です。「キャッツ」大阪公演が始まる前の1985年2月のことでした。

 

 こんな感じで浅利さんとの思い出を綴っていくと、いろんなことが走馬灯のようにめぐります。越路吹雪さんとのつながりもあって宝塚歌劇とも浅からぬ縁があり、私が初めて「宝塚伝説」(青弓社刊)という単行本を上辞したときも「宝塚が関西で文化として根付いていることがよくわかった」と感想を述べてくださいました。ポスト越路さんとして鳳蘭さんを高く買われていて森光子さんとの共演舞台を画策されていたのもこのころでした。結局実現はしませんでしたが、実現すれば森さんのブロードウェー・ミュージカル初挑戦という事で大きな話題になったことでしょう。

 

時は前後しますが1987年5月、ミラノのスカラ座で「蝶々夫人」を演出された時、大阪から担当記者が大挙してかけつけ、浅利さんを大感激させたことも忘れられない思い出です。この時は、浅利さんが舞台稽古を自ら案内してくださり、土産物のショッピングにまでつきあってくださいました。公演後には打ち上げのホームパーティーにも招待していただき、私が撮影した「蝶々夫人」のヒロイン、林康子さんと成功を祝って抱擁されたワンショットは、あざみ野の劇団四季の浅利さんの部屋に長く飾ってありました。

 

大阪でのロングラン公演が常態化し、名古屋、福岡、札幌と全国各地でも同じような展開が成功するうちに劇団四季は公演数も格段に増え、徐々に大阪に来られる回数も減りましたが、たまに来られたときには、いつも笑顔で挨拶をかわしたものです。近年、劇団四季を離れられてからは、結局、一度もお姿を見ることなく、訃報に接するということになってしまいました。それだけが一番の心残りです。

 

浅利さんが日本の演劇界に残された功績は計り知れないものがあります。劇団四季は今年65周年。浅利さんが20歳の時に結成された劇団です。政財界とも太いパイプがあり、急激に成長したことや、強烈なワンマン体制もあって、さまざまな声も聞こえますが、浅利さんの演劇大好き青年であるという根っこは変わりません。劇団四季としては、浅利さんのそんなスピリットと残された数々の財産をしっかり受け継いでいってくれることを切に望みたいと思います。かつて在籍した俳優たちが一堂に会しての浅利さんを偲ぶ夢の舞台の実現、これはぜひとも期待したいですね。

 

©宝塚歌劇支局プラス7月18日記 薮下哲司

 

 

 


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