愛華みれら出演者一新して5年ぶりに「宝塚BOYS」再演決定
宝塚歌劇団に戦後すぐにあった「男子部」にスポットを当てた舞台「宝塚BOYS」(鈴木裕美演出)が、8月4日から東京芸術劇場プレイハウスを皮切りに名古屋、久留米、そして大阪(8月31日~9月2日、サンケイホールブリーゼで5年ぶりに再演されることが決まり、6月18日、大阪市内で会見が行われ、寮母役で初参加する愛華みれらが出席した。この日は大阪北部を震源とする震度6強の地震が発生、ほかの会見や催事の中止が相次ぐ中、開始時間を一時間以上遅らせて催行、愛華らが熱い思いを語った。
「宝塚BOYS」は演劇ジャーナリストの辻則彦氏の「男たちの宝塚」を原案に、中島淳彦氏が脚本化した作品。宝塚歌劇団の「男子部」は、戦後すぐ、宝塚歌劇団は大劇場閉鎖や米軍の大劇場接収などで団員が激減、存続の危機を感じていた創始者の小林一三氏が、戦地から復員してきた青年の男性登用を訴える一通の手紙をきっかけに、かねてから考えていた男女混合の「国民劇」の実現を目指して、男子生徒を募集したことから始まる。
しかし、戦前からの質実剛健の気風がまだ色濃く残っていた戦後すぐのこと、歌って踊る男性を育てるというのは至難の技、異端も甚だしく、応募したのは歌とダンスが飯より好きというよりは、それで給料がもらえ腹いっぱい飯が食える、というただその一点で集まった青年たちが大半だったという。もちろん女の園へ潜入できるのではないかという淡い下心もあっただろう。しかし、次第に舞台の魅力に目覚め、真剣にレッスンを重ねて新芸劇場(現バウホールの前身)での公演などに出演するまでに成長するが、大劇場では馬の足やカゲコーラスだけで舞台デビューはないままに終わった。それは、1951年、大作「虞美人」が大成功をおさめ、劇団員が飛躍的に増加、歌劇団が女性だけでも十分成立することが自信を得たこと、内外からの男性加入反対の意見などから、その後、廃止された。
男子部は廃止されたもののその後70年代前半まで演出的に男性の声が必要なショーなどではカゲコーラスで男性がアルバイトで声の出演をしていた。今のようにカゲコーラスも完全に女性のみの公演になったのは「ベルサイユのばら」以降のことだ。そのあたりの裏事情を知っているとさらに面白くみられるはず。
さて舞台の「宝塚BOYS」はそんな「男子部」に集まったさまざまな経歴の青年たちの。叶えられなかった夢を描いた切ない青春ドラマ。叶えられかった夢という一点に絞った脚本が見事で、ラストの彼らが大劇場の舞台で繰り広げる幻想のレビューシーンは涙で曇るほどの清冽な感動が押し寄せる。時代的に彼らが幻想で見るようなレビューシーンはそのころまだなくて、ずっとあとの時代の衣装でありシーンなのだが、そんな細かいことはこの際不問にしておこう。
男子寮の寮母君原役はこれまで初風諄が持ち役にしていたが。今回から愛華みれに交代。愛華は「舞台は拝見したことがなかったのですが、DVDを見たり原作を読んだりして、改めて自分は恵まれていたんだなあと再認識。夢というものは願えばかなうものだと信じていたのですが、叶えられない夢があるということに衝撃を受けました」と出演の感想。初風には「決まった時にすぐに報告せさていただきました。初風さんのようにできるかどうか、すごいプレッシャー。私がやると温かく見守るというより厳しいおばさんになるかも」と笑わせていた。「宝塚を退団して、だいぶ時間がたつので、宝塚時代のことを忘れかけていたのですが、改めて宝塚の歴史を勉強する機会に恵まれて、宝塚のすばらしさを再確認しています」と、過日、小林一三氏の墓参もすませ、出演の報告をしたという。
男子部メンバーは良知真次ほかのseaチームと永田崇人ほかのskyチームに分かれ、どの役を演じるかはまだ決まっておらず、東京以外はskyチームのみが出演する。初出演となる永田は「テーマパークのアトラクションで声を出さない役をやっていたことがあり、その時の自分の気持ちを投影できれば」と抱負を話していた。
©宝塚歌劇支局プラス6月18日記 薮下哲司