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順みつきさんを偲ぶ

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”ミッキー”順みつきさんを偲ぶ

 

「ミッキーが亡くなったって、詳しい話は?」19日の朝、こんなメッセージがパソコンに飛び込んできました。ここ10年以上、宝塚はおろか業界関係者とも音信不通で、時々どうされているんだろうと心配していた矢先だったのですが、午後になって後輩記者から「順みつきさんが亡くなりました。胃がんだったそうです」というメールが入り、それが現実のことであることがわかりました。

 

 ミッキーこと順みつきさんと、初めて親しく話をさせてもらったのは、彼女の宝塚生活もほぼラストスパートとなった宝塚バウホールのリサイタル「I LOVE MUSICⅡ」(草野旦作、演出)の時でした。私が雑誌「宝塚グラフ」のバウホール公演評を担当させて頂いていた1982年10月ごろだったと思います。ミッキーさんは、雪組→星組→月組→花組と全組を転々とし、星組では「ベルサイユのばらⅢ」のオスカル、月組では「バレンシアの熱い花」初演のラモン、「風と共に去りぬ」初演のスカーレットと、エネルギッシュで何でもできる実力派男役スターとして独自の地位を築き、花組では松あきらとダブルトップとして活躍していましたが、松の退団公演「夜明けの序曲」には出演せず、外部のミュージカル「キャバレー」初演に主演のサリー・ボウルズ役で出演、この公演が好評で約半年ぶり、久々に宝塚に帰ってきた最初の公演でした。

 

 公演の顔寄せが、旧大劇場の隣にあった食堂「千草」(新大劇場になってからも楽屋口の左側にありました)であり、私も取材で同席していました。記者は私だけだったことから、ミッキーさんはじめ出演者のみなさん全員から大歓迎していただき、ミッキーさんが「久々の宝塚、全力で頑張ります」と目を輝かせていたのをよく覚えています。

 

 リサイタルは、さまざまなジャンルの音楽を駆使、宝塚のショーの枠を超えたプロのエンターテイメントになっていました。ところが、どういうわけか初日の客席はガラガラ、今のようにファンクラブの動員もないころで、半年間、宝塚を留守にしている間にファンはすっかりミッキーさんを忘れてしまったかのようでした。しかし、口コミで客席が徐々に埋まり、千秋楽の頃には満員御礼になったと聞き、やはりミッキーさんの実力のなせるわざだと思ったことでした。

 

 公演後、ミッキーさんが海外旅行に出かけている最中に「順みつき退団」というスクープ記事が某スポーツ紙に掲載されました。花組のトップ披露公演として「霧深くエルベのほとり」と「オペラ・トロピカル」が発表されるのと相前後してのことでした。旅行から帰って会見に応じたミッキーさんは自分の進退にかかわる記事が旅行中にでたことの無念さをにじませながら「最後まで私らしく頑張りたい」と歯を食いしばって話していた姿が忘れられません。結局披露公演がサヨナラ公演になる一公演だけの単独トップスターの先駆けとなってしまいました。

 

 「霧深く―」は、菊田一夫氏が宝塚のために書き下ろしたオリジナルで、港町ハンブルクを舞台に船乗りのカールと良家の令嬢の悲恋物語。内重のぼる、淀かほるで初演、以後再演もされた人気作で、ミッキーさんの念願の作品によるサヨナラ公演でした。熱のこもったミッキーさんのカールが印象的でした。「オペラ-」は、全場大階段を使った草野氏の伝説のレビュー。

 

 退団後、女優として再出発、その最初の公演は帝国劇場で上演された、鈴木忠志演出の前衛的な古典劇「悲劇」でした。上級生の鳳蘭との共演でしたが、鈴木メソッドによる独特のセリフを、身体全体から発するエネルギッシュな舞台はミッキーさんにぴったりで、女優デビューは強烈なインパクトを与えました。その後、在団中に出演して評判となった「キャバレー」の再演があり、映画でライザ・ミネリが演じたサリー・ボウルズは、日本ではミッキーさんの代表作となりました。

 

 代表作と言えばその後、1987年にNHK銀河テレビ小説で演じた「わが歌ブギウギ」の笠置シヅ子役も忘れられません。OSK出身で戦後退団して、ブギの女王として一大センセションを呼んだ歌姫の伝記ドラマです。「買物ブギ」などレビューシーンのダイナミックなステージングは笠置シヅ子が乗り移ったようでした。これはその後、道頓堀の中座で舞台化され、それも素晴らしいものでした。東京での上演がなかったのが不幸でした。その後、これは真琴つばさの主演で再演されています。

 

 しかし、そのころから舞台での活動は徐々に少なくなり、その後、消息が途絶えました。宝塚100周年の時に、久しぶりに会えるかなあと楽しみにしていたのですが、姿を見ることはありませんでした。同期生にも連絡を取らず、近況は不明のままでした。そんななかの突然の訃報でした。

 

 どちらかというと、在団中より退団後の方が、会う機会が多かったように思いますが、そのキラキラとした大きな瞳、いつも全身全霊、全力投球の舞台姿がいまでも目に浮かびます。

かくいう私もそんなミッキーさんに元気をもらったひとりです。ミッキーさんのダイナミックな舞台姿は永遠です。

 

©宝塚歌劇支局プラス4月21日記 薮下哲司 


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