坂東玉三郎、越路吹雪を歌う「愛の讃歌」コンサート大阪公演
歌舞伎界が誇る当代一の名女形、五代目坂東玉三郎が、戦後のタカラジェンヌを代表する大スター、越路吹雪の37回忌にちなんで企画したスペシャルコンサート「越路吹雪を歌う」大阪公演が3日、フェスティバルホールに、タカラジェンヌOG、真琴つばさ、姿月あさと、凰稀かなめと劇団四季はじめミュージカル界で活躍する海宝直人がゲスト出演して華やかに行われた。今回はこの公演の模様をお伝えしよう。
越路吹雪は、戦後、大劇場が再開直後、最初に大ブレイクした男役トップスターで、100周年の式典の時にゲスト出演した有馬稲子も「私にとっての憧れのスターはコ~ちゃんです」というほど絶大な人気を誇った。1947年から1950年の戦後復興期に宝塚で活躍して、退団後は東宝入り、女優として映画や舞台で幅広く活躍、初期のNHK紅白歌合戦の常連でもあった。70年代には劇団四季の浅利慶太氏とタッグを組み、日本のミュージカル草創期を牽引、ロングリサイタルは一番チケットが取れないコンサートと言われた。このあたりの経緯は大地真央が越路に扮し、1月から3月にかけて放送されたテレビドラマ「越路吹雪物語」でも詳しく描かれていた。
玉三郎は、15歳の時に越路が主演したミュージカル「王様と私」を見て越路の魅力とりこになり、その後はあらゆる舞台を見て、公私ともに親しい間柄だったという。玉三郎は越路の女優として真摯に舞台に取り組む姿勢に感銘を受け、常に範としてきたという。そんな越路がロングリサイタルで歌い続けたシャンソンを、自らが歌うとともに次の世代の歌い手たちにも受け継いでいってほしいと、越路と同じタカラジェンヌの後輩たちとのコンサートを思いついた。
コンサートは二部構成。このコンサートのために編成された「愛の讃歌オーケストラ」の前奏にあわせて中央から光り輝く黒ずくめの衣装で玉三郎が登場、「バラ色の人生」から華麗にオープニング。朗々とした豊かで低い歌声は、歌舞伎の女形の時の発声とは明らかに異なり、越路が乗り移ったかのよう。「群衆」まで一気に歌い込み、満員の観客は一気に越路独特のシャンソンの世界に呼び戻された。
真琴つばさ、姿月あさと、凰稀かなめ、海宝直人も、おそろいの黒にスパンコールのついた豪華なイタリア製の素材だが、すべてデザインが違うという凝った衣装で登場。
越路が出演したミュージカルの曲のメドレーからスタート。玉三郎が「屋根の上のヴァイオリン弾き」から「サンライズ・サンセット」を歌ったあと海宝が「南太平洋」の「魅惑の宵」真琴が「ワンダフル・ガイ」続いて姿月が「王様と私」から「シャル・ウイ・ダンス」海宝と凰稀が「ウイ・キス・イン・ア・シャドウ」をデュエット。真琴の「メイム」では客席から手拍子が起こるなど、すっかり和やかな雰囲気に。「サウンド・オブ・ミュージック」からは「私の好きなもの」「おやすみなさい」を全員で歌い、続いて玉三郎が「リトル・ナイト・ミュージック」から名曲「センド・イン・ザ・クラウン」をしっとりと歌い込んだ。
1部は玉三郎の「18歳の彼」海宝の「誰もいない海」凰稀の「サントワ・マミー」そして玉三郎、真琴、姿月が3人による「谷間に三つの鐘がなる」で締めくくった。玉三郎が相手とあって、真琴らがいつものOG公演よりずいぶんと控えめで緊張気味。それがなんとも微笑ましい。
2部は玉三郎の「枯葉」から始まり、本格的なシャンソンメドレー。「ろくでなし」(姿月)「巴里野郎」(凰稀)「パダンパダン」(真琴)と続いたあと越路さんの宝塚時代のヒット曲「ブギウギ・パリ」そして「華麗なる千拍子」のヒットナンバー「幸福を売る男」と宝塚でおなじみのシャンソンも登場した。クライマックスはもちろん玉三郎の「愛の讃歌」「水に流して」と越路さんが愛したエディット・ピアフの曲を2曲続けて熱唱。アンコールに「ラストワルツ」を披露した後、全員で「すみれの花咲くころ」を歌い継いでコンサートの幕を閉じた。
歌舞伎の女形の玉三郎がスーツ姿、宝塚でバリバリの男役トップだった3人が豪華なドレス姿、海宝が一番派手なスパンコールのついたスーツと、玉三郎が「ここには男と女が何人いるのか分からないね」と言って満場を笑わせる一幕もあったが、そんな和気藹々とした雰囲気の中、大先輩、越路吹雪さんに対する出演者たちの愛があふれた気持ちのいいコンサートだった。
東京から始まったこのコンサート、大阪のあと5月13日に神奈川・座間、7月28日に宮城・川内萩と各地で公演が予定されている。
©宝塚歌劇支局プラス5月3日記 薮下哲司