轟悠主演、ミュージカル「ドクトル・ジバゴ」開幕
専科の轟悠が、星組の選抜メンバー24人とともに共演したミュージカル「ドクトル・ジバゴ」(原田諒脚本、演出)が4日、大阪・シアタードラマシティから開幕した。今回はこの模様をお伝えしよう。
「ドクトル・ジバゴ」は、ロシア革命後、社会主義政権下のソ連で、愛と自由を求めた医師で詩人ユーリの人生を通して生きることの尊さを謳い上げたドラマティックなミュージカル。1957年に作家ボリス・パステルナークが発表した原作は、当時のソ連では発禁となり、1965年に「アラビアのロレンス」のデビッド・リーン監督によって映画化(日本公開は翌年)。「ラーラのテーマ」の甘美なメロディーが印象的で「サウンド・オブ・ミュージック」とアカデミー賞を分けあった。とはいえ50年以上前のこと。すでに伝説の名画となりつつある。映画ファンならずとも誰もが一度は見る映画と思っていたが、いまや誰も知らない映画になりつつあることが、今回の舞台化によってよくわかった。周囲の若い人はもはや誰もこの映画版を知らず、見ていなかったのである。怪奇ホラーの名作「ドクトル・マブゼ」と混同していた人がいたのにはちょっとした衝撃だった。
世が世なら昨年は革命100周年を祝っていたソ連もとうに崩壊、世界情勢はがらりと変わってしまった。発表当時とは作品自体の環境が変化し、忘れられて当然ではあるが、現代の日本にあって、この題材はあまりにも現実と遊離していて、宝塚歌劇の観客にはかなりハードルの高いドラマとはいえるだろう。客席もいつになく年齢層が高く、私が見た日は珍しく後方に空席が目立った。とはいえ、大長編を約2時間半に要領よくまとめた原田氏の脚本の手腕は買え、感動的で歯ごたえのある舞台に仕上がった。
舞台は1910年、ロシア軍が民衆に発砲、革命の火種となったとされる“血の日曜日事件”に端を発したモスクワでの民衆のデモ場面から始まる。活動家のパーシャ(瀬央ゆりあ)その恋人ラーラ(有沙瞳)らを中心とした「民衆にパンを」「農奴に土地を」と歌う民衆たちの力強いシュプレヒコールを打ち破るように客席から登場した軍隊が発砲、広場は修羅場と化す。宝塚歌劇とは思えないかなりハードなオープニングだ。
その同じ日、モスクワの邸宅街にあるグロメコ家では、当主(輝咲玲央)の甥にあたるユーリ(轟悠)と娘のトーニャ(小桜ほのか)の結婚が決まり、婚約披露パーティーの相談が行われていた。邸外ではなにやら騒がしい銃声が聞こえ、ユーリの表情が曇る。昨年宙組で上演された「神々の土地」とほぼ同じころの物語で、革命に人生を翻弄された貴族の話と言えば分かりやすい。
1914年、第一次世界大戦が勃発、結婚したばかりのユーリも軍医として出征、夫のパーシャの行方を捜すために従軍看護婦に志願していたラーラと野戦病院で運命的な再会を果たす。モスクワに残した妻トーニャに想いを馳せながらもラーラに運命的なものを感じるユーリ、2人の女性への思いに揺れるユーリの心情を轟ならではの絶妙の演技で見せる。ロシアに革命が勃発、ユーリとラーラの許されない恋は、革命の渦に飲み込まれ、思いがけない方向に流されていく。ユーリとラーラの関係を知ったトーニャの心情やユーリとラーラそれぞれにとって黒い存在である弁護士コマロフスキー(天寿光希)の最後の変心など、やや説明不足な点があるものの、轟はじめ達者な出演者の的確な演技と、極限状況下の人間関係の面白さで最後まで舞台にひきつけられた。
轟は、医師として詩人として理想に燃えながら、時代の波に飲み込まれていき、しかし、人間として生きるうえでの信念と尊厳を失わなかったユーリを、轟ならではの包容力ある大きな演技で表現。雨の日に往診に行った隣町で、偶然出会ったラーラと恋に落ちてしまう、大事な場面を納得させた。「長崎しぐれ坂」「神家の七人」そして、このあとは「凱旋門」と主演公演が立て続けに上演される轟、長い宝塚の歴史の中でも別格的存在になりつつあるようだ。箙かおる、飛鳥裕と専科メンバーの退団が相次ぎ、共演者がどんどん若くなっていくにもかかわらず、それほど違和感がないのが轟のすごいところだ。
轟をめぐる共演者で相手役を務めたのがラーラの有沙。雪組時代からその実力は際立っていたが、その力を最大限に発揮できる大役であり難役だった。なにしろ革命派の学生パーシャを恋人に持ち、母親の情夫である弁護士コマロフスキーにも関係を迫られ、結婚したばかりのユーリと恋に落ちる。運命に翻弄される女性を、地に足の着いた演技で表現したのは見事だった。時代背景と階級もあって看護婦姿など華やかな衣装は一切着ないが品格が内からにじみでた。
有沙に優るとも劣らない好演だったのがトーニャ役の小桜。遠目の客席から見ていると衣装もよく似ているので、一瞬、見間違えることもあったほどだが、ユーリを心から愛しているというピュアな心情を全身で表していて、気持ちのいい演技だった。映画版ではジェラルディン・チャップリンが演じていた。
男役はラーラの恋人役パーシャ役の瀬央とコマロフスキー役の天寿が、ドラマに大きく関係してくる重要な役どころ。瀬央は、二枚目だがそれだけではない屈折した青年像のパーシャをスケール感豊かにパワフルに演じ、天寿も、時代をうまく生き抜き、この作品では一番の黒い存在のコマロフスキーを人間味豊かに演じ切った。とりわけ天寿の巧さが際だった。
ほかにお針子から革命の闘士となるオーリャ役の紫りらの闊達さ、ユーリの伯父グロメコ役に扮した輝咲が、轟を相手に十分な貫録ぶりで見事だった。ミーシャの天華えま、ワーシャの天希ほまれのさわやかさが暗い場面を救い、ガリューリン少尉の麻央侑希は将校の軍服がよく似合い、ワンポイントだが撤退の無念さがよくにじみ出た。戦闘場面の群舞も見ごたえがあった。松井るみの装置は、こういう中劇場の芝居にはぴったりで、二幕冒頭の列車の場面に類まれな力量を見た。
大阪公演は13日まで。東京は20日から26日まで赤坂ACTシアターで。
©宝塚歌劇支局プラス2月6日記 薮下哲司