大地真央×原田諒初顔合わせ!「ふるあめりかに袖はぬらさじ」開幕
杉村春子、坂東玉三郎が演じた有吉佐和子原作の名舞台に大地真央が音楽劇という新たな領域でチャレンジした「ふるあめりかに袖はぬらさじ」(原田諒演出)が、7日から東京・明治座で開幕した。大地以外にも宝塚OGが大勢出演しているこの話題の公演の模様をお伝えしよう。
「ふるあめりか」は、幕末の横浜、岩亀楼の芸者、お園が主人公。お園が看病している花魁・亀遊に、アメリカ人イリウスからの身請け話が持ち上がり、通訳の藤吉という思い人がいる亀遊は世を儚んで自殺してしまう。このことが瓦版で“攘夷女郎”としてとりあげられたことから、亀遊は一躍時の人に。親友だったお園までが語り部として担ぎ上げられていく。有吉佐和子が文学座の大女優だった杉村春子のために書き下ろし、杉村の死後は歌舞伎の坂東玉三郎が受け継いできた名舞台。一番最近の玉三郎版の亀遊は檀れいが演じて、その美貌とはかなげな演技が印象的だった。
大地を中心にしたチョンパーの艶やかな芸者衆の総踊りから始まる今回の舞台は、のっけからこれまでの「ふるあめりか」とはまったく違った世界観。幕末の横浜、華やかだがどこかうらびれた花街独特の香りが匂い立ち、これから始まる物語が岩亀楼という横浜の廓を舞台にしていることを強烈に印象付ける。
舞台がくるりと回転すると、そこは病に臥せっている芸者・亀遊(中島亜梨紗)の行燈部屋。大地扮するお園が薬をもってやってくる。お園と亀遊の会話で、その場の大体の事情が説明される。お園と亀遊が、吉原時代からの知り合いであることや、亀遊が通訳の学生、藤吉(浜中文一)とただならぬ関係であることなど。大地の本音と建て前を使い分ける演技が絶妙で、一気に観客をこの世界に没入させていく。
お園役の大地は、本音と建て前で声色を縦横に使い分け、海千山千の芸者の雰囲気をうまくだし、杉村や玉三郎が演じたお園に比べてもそん色のない闊達な演技。かつては美人芸者として売れっ子だったが、年齢を重ねてそれなりの生業で生きているという雰囲気を鮮やかににじませた。「風と共に去りぬ」のスカーレットや「ローマの休日」のアン王女を演じていた人が、この役が似合ってしまうというのが時を感じさせるが、大地が演じるとお園まで粋で華やかだ。思えば、これまで大地の芸者役は見たことがなかったし、日本物も「鼠小僧」「紫式部」ぐらいしか見たことがなかったような気がする。しかし、芸者役のなんというあでやかさ。これなら吉原がほおっておくはずはない、というのが難といえば難だ。
大地的には、一幕から五年後の岩亀楼、攘夷派の志士たちの前で、三味線の弾き語りを披露する二幕のクライマックスが見せ場。初挑戦とは思えないバチさばきと芯の通った語りで聴かせた。志士たちの怒りが収まったあと一人残ったラストで、歌いあげて終るというのも大地版ならでは。杉村春子、玉三郎とは一味違った「ふるあめりか」に仕上がった。
宮沢りえや檀れいが演じてきた亀遊は、元月組の娘役、中島亜梨紗が起用された。在団中は羽桜しずくの芸名で、「ME AND MYGIRL」(博多座公演)のサリー役などを演じたが、トップ娘役になることはなく瀬奈じゅんと同時に退団した。NHKの大河ドラマ「真田丸」で印象的に登場、今年は舞台「サクラパパオー」にも出演していた。演出の原田諒氏のキャスティングではないかと想像するが、病弱ではかなげな雰囲気がよくでていて、これもなかなかのヒットだった。普通、出番は一幕だけなのだが、二幕冒頭に藤吉との幻想シーンで再登場、いかにもの宝塚的処理だった。
藤吉役の浜中文一は、若々しく清新な感じと、通訳としての知性ももちあわせていて、適役好演だったが、歌唱は羽桜とともに、もうひと踏ん張りしてほしかった。
感心させられたのは岩亀楼の主人を演じた佐藤B作とやり手婆に扮した鷲尾真知子。それとアメリカ人イルウスに扮した横内正の3人。それぞれ存在感が見事。この3人がいてこの芝居が成立したといってもいいだろう。とりわけ鷲尾は、夫で俳優の中島しゅうさんを亡くしたばかりにもかかわらず、悲しみを隠しての熱演で、登場場面での客席からの拍手が激励に聞こえた。
あと、芸者衆に宝塚OGが多数出演しているのも特徴。まず岩亀楼の外国人相手の名物芸者に未沙のえる。ほかにも桜一花、大月さゆ、美翔かずき、帆風成海といった具合。プロローグの日舞や三味線の合奏などで在団中につちかった実力を発揮していた。
©宝塚歌劇支局プラス7月13日記 薮下哲司